暮らしって何だろう?日が暮れてからの生活や家事が自分を支えてくれていると最近感じるのです

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しばらくの間でも家を離れてみると気付くことがあります、例えば出張なんかで三日も家を離れれば、自分から日常的な“暮らし”というものが抜け落ちてゆくのを感じたことはありませんか?

具体的に何が抜けてゆくのかは上手く説明できませんが、とにかく生活のリズムが変わり、自分が自分でなくなるような感覚です。

なぜなんでしょうね?

普段の日常を思い浮かべてみる。

朝‥ご飯を食べたら、仕事をするために外へ出掛ける。そのまま夜まで働いて、そして帰ったら風呂に入って、食事をして寝る。

結局家に滞在するほとんどの時間は食事と寝る時間に費やされる。

出張でも同じ様なサイクルのはずなのにね、不思議‥

そこで出張先にないものって何だろうなと考えてみました。するとプライベートな時間に自分の道具がないことの寂しさに気付きました。

ここにはご飯を炊くためのジャーがない、保温ジャーだ。いつもの箸と茶碗がない、洗い物をするためのスポンジも、皿を拭く布巾や手を拭くタオルもない。いや、タオルはあるけど業者が手入れしているであろうパリッとしたタオルだ。しかし、それではないのです。

ここまで話していて、もっと重要なことに気が付きました。そもそも家事をするための道具がそこにはないのです。

ああ、そうか‥置かれてる道具の質が全く違うのです。全てが家事という日常から遠ざかっているものばかりなのです。

寂しさの原因は日常が抹殺された喪失感なのではないだろうか?

そう考えますと、もしかしたら日々の雑多な家事が人間としての暮らしを形作っているのかもしれないという思いにかられます。

そこには家族としての暮らし、個人の日常があるのです。

家事は実はそれ自体、ひとつひとつはそれほど難しいことではないように思いますが、毎日同じことの繰り返しで、生きていく上では少々面倒な労働で、特に妻には多くの負担をかけていると思います。

しかし、それがなくなると途端に生活感がなくなってしまいます。それは家族が家族でなくなるような、自分が自分でなくなるような錯覚を覚えさせるほどの喪失感を我々に与えるのかもしれない。

世の中には、たまに生活感を遠ざけるというよりも、感じさせないことで上質な暮らしを演出される方がいらっしゃいますが、ぱっと見で面倒から解放されていて羨ましさを感じる反面その蔭に気持ち悪さを感じることはありませんか?

それは日常を奪われてしまっているのに満足そうにしている人間を客観的に見てしまったという恐怖感がそうさせるのかもしれません。

日々仕事に追われ忙殺される自分を一日の内にどこかで取り返す機会があるとすれば、その一つに日が暮れてからの生活があるように思います。

そこには待っててくれるものがあります。

人によって違うとは思いますが、それが家族であったり、道具であったり、犬やネコの場合も、時には何回見ても飽きない大好きな映画や本だったりするのだと思います。

 

ところで“暮らし”っていう言葉について最近「なるほどなぁ」と感じさせられることを聞いたのですが、『“暮らし”という漢字に「日が暮れる」の“暮”という文字があてられているのってスゴいですよね。』ということです。

人の“暮らし”と呼ばれるほとんどの動きはお日様が暮れてから始まるのですから、よくできていると思います。

そのようなわけで帰宅したら、ちょっとでも家事を手伝おうと思います。

お皿とかの水気を布で拭いたりすると落ち着いたりしますよね

作成者: 仲 高宏

主に日曜大工(diy)やハンドメイドに関するお役立ち情報を発信しています。 電動工具の扱いや、木材の加工方法、便利な補助道具の紹介を記事にしています。 最近は「木彫り」や「切り絵」も始めました。 住まいは古の都、奈良県奈良市、子供二人の四人家族です。