ニワトリの話
- 2016/5/24

突然ですが皆様にはニワトリに関する思い出ってありますでしょうか?
ええ、あの赤いトサカがあってけたたましく鳴くあの鳥のことです。孵化したばかりのコロコロした頃はヒヨコと呼ばれ可愛いものですが、成長すると共に最初の頃のかわいさは消し飛び、猛烈にこちらを威嚇してくるあの鳥です。
小学生の時飼育係に抜擢されて恐る恐る世話をしただとか、英語の筆記試験でクックドゥールドゥをスペルで書けと言われて憤慨しただとか、人によって様々な思い出があると思います。
そんな中わが家にも祖父が存命だった頃の昔話で出てくるニワトリの話があって今日はそんな話をしてみようかと思います。
その話は時に母親から聞き、時に祖母から聞き、そして親戚連中で語られるその度にディテールが変わってくるのですが、人に話すとウケるのでその内容はどんどん変遷されていきます。ですから話し半分で聴くべきどうでも良いヨタ話でもあります。
集金ってご存知ですか?最近は銀行振り込みが一般的なのでその業務に携わる方が少なくなってきているかと思われますが、今から5~60年ぐらいまで遡ると結構どこでも見かける光景だったと聞きます。
戦後からしばらく経ってますがそれでもまだ日本が貧しいといわれていた時代の話です。
ある日、新聞配達店を営んでいた祖父は集金の為に店を出掛けたそうですが、しばらくすると一羽のニワトリを抱えて帰って来たそうです。ええ、大変不思議な話です。
集金に行ったわけですから、お金を集金袋に入れて持ち帰るのが通常のルーティンのはずです。ニワトリが介在する余地はどこにも見当たりません。全くどこに行って何をしてきたんだと‥
話を聴くと、どうやら購読料の代わりに引き取って来たそうですが、驚きですよね?お金の代わりにうるさいニワトリが一羽家にやって来るのですから。
祖母、その頃は若かったでしょうが、どんな理由があったにせよ、あきれ半分、恐らく激怒していたことは想像に難くありません。それこそトサカに来て大喧嘩したんじゃないかと思います。
そんな昔話を子供の頃の私はゲタゲタ笑いながら聴いていました。
卵をあまり産まないだとか、最後は交通事故にあってしまい、勿体ないのでそのまま近所でさばかれてしまって鶏肉化してしまっただとか、まあ話題に事欠かないニワトリだったそうですが、どうして大人になってから思い返すと中々考えさせられるエピソードであったと私は感じるのであります。
想像して見てください。集金に訪れた祖父とニワトリを差し出した新聞講読者。
本当はお金で支払いたいのに、支払えない状況な訳です。相当困窮してますよね?笑えません。
ふと思うのです。そんな人にとってニワトリ一羽の価値はどれほどの価値であったか?もしかしてお金を差し出すより重たいモノであったのではないか?
逆に引き取ることによって家庭の邪魔になるかもしれない祖父の立場の場合、果たしてニワトリは引き取ったところで購読料の代わりになり得るものであったのか?
祖父は何を思ってニワトリを引き取ったか?
当時も含めて、今の時代ならあり得ない話ですが、その時代、祖父とお客さんの間では確かにその取引が成り立ったのだと考えると感慨深いものがあります。
ここから先は当事者がいなくなった今ではもう確かめるすべはありませんが、この昔話は受け取る側で様々な解釈が出来るようになります。
祖父の性格や気性を知らない人が聴けば、この話は購読料を現金で回収することが出来ずに、言われるがままニワトリを引き取った情けない男の話に聴こえるかもしれませんし、または、金目になりそうなモノなら何でもその場で回収する鬼の様な短気な男だと受けとるかもしれません。
全く逆の印象になりますよね?それではいけません。
その様な訳で祖父の人柄が分かるような情報を少々追加します。ステレオタイプな言い方をすれば関西の商売人と言えば良いでしょうか。これで弱々しいイメージは無くなったかと思います。
さて、商売人であり、多少ケチであったであろう関西のおっさんである祖父が、何でわざわざそんなニワトリを引き取ったのかですが、恐らくソロバン勘定以外の価値観がそこにあったのではないかと私なんかは思うのです。
単に料金を払わないだけなら、新聞の配達を止めて警察に相談なんてことになったかもしれませんが、相手方は必死になって条件を出してきた。そして困窮していても新聞を取ることを止めようとはしなかった。
大事なポイントだと思いますので、もう一度繰り返します。戦後しばらく経っているとはいえ、日本はまだまだ貧しい国でした。しかし必死だったのです。
私はこの昔話を思い出した時、昔は貧しかったけれども、そこで暮らす人達は粋であると感じていました。
「粋」そういうのもあったかもしれませんが、しかしこの文章を書き進める上で私も少し考えが変わってきました。何かそこにはもっとドロドロとした必死さが流れていたのではないかという風に感じるようになってきたからです。
必死だったからこそ納得したのではないだろうか?そして本人達は必死だったので端から見ると滑稽な展開になったのかもしれません。
そのニワトリが結果的に卵を産まなかろうが、意図せず途中でさばかれて鶏肉になろうが、それはその後のどうしようもない結果であって、その場の取引とは全く関係のないものです。
その場の取引でお互いが納得した。多分これが重要なのです。
その後のタラレバの話はその時は分からないことですし、考えても無駄なことです。刹那の決断の連続が生きるということなのかもしれません。そして必死に生きることは遠目から見ると滑稽で面白いモノなのです。そこで怒るのも人間ですし、笑うのも人間です。
人間って素晴らしい。
何か偉そうなこと言ってすみません。
ちなみにトップの画像は切り絵で作成したセキショクヤケイです。下書き段階では下の画像の様な感じでした。
これに色を足していくと次のようになります。
もし切り絵(切り紙)に興味があるなら以前に書いた記事がありますのでどうぞ。
ニワトリの話、如何でしたか?