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手作り(ハンドメイド)とは何かを思考しました。
- 2015/12/20

趣味の一環で木工や日曜大工等のdiyを始めたのは、今から3年ほど前になります。
柵で庭に目隠しを作ったり、棚を作ったり、最近は木彫りにまで手を出して、随分色んな事に挑戦したものだと思います。
このブログサイトもモノ作りの一環だと考えていますが、記録に残す行為と記録を公開する行為とが一体となったこのブログという世界のおかげで自分自身も少し変化したなと感じています。
単なる日記ではなく、人の目に触れる位置にある、且つそれが訪問者数やpv数という目に見える形でそのまま跳ね返ってくるというこの世界は私の中では衝撃的な世界でした。
自分の中では何気なく考えていることや、何気なく作っているモノが思いのほか反響が大きかったり、会心の出来だと思って投稿したことが全然だったりすることもしばしばです。
反響が無いから駄目という事ではないのですが、一つの客観的に観る指標が出来た事が嬉しいのです。気がついたらこのサイトも5ヶ月目、pv数も20,000を超えていました。
どこの誰かも分からない人間が作った無名のサイトによく毎日これだけの訪問者が来てくれるものだと感心します。
最近特に強く感じる事として、モノ作り、特に手作り(ハンドメイド)の興味深い所というのは、思考したことやイメージしたことが、成功失敗に関わらず、必ず形や結果となって返ってくるという事実です。
イメージしていたことがすんなりと作品になる時というのは、作業の始まりや作業の途中過程であっても、何気なく完成した後の形がイメージ出来る様な時であります。
逆に上手くいかない時というのは、イメージにモヤが掛かっているような時です。そんな中、制作を進めても何処か欠陥が出てきます。構造的に弱くて使い物に成らなかったり、実際に使用してみると使い勝手が悪かったりします。
しかし、そこで失敗という結果が形になって目に見えて来ると、次が見えて来ます。失敗する前には見えなかった盲点が浮き彫りになるわけです。これは他人の失敗では見えません。自分自身が辿った軌跡上に起こった失敗だから見えるわけです。あたかも過去の足跡が未来を照らしてくれるかのようです。
そして経験が積み上がると色んな選択肢が増えていきます。特にその経験を形に残るように記録していると効果的です。
私の場合はブログを利用しているわけですが、公開しているわけですから、誰かしらの目に必ず触れる訳です。下手なりに神経を使い文字を起こすわけですから、単なるメモ書きでは見えない整理が発生します。
正しい文章というのは、物事を正しく理解していないと書けません。文章として文字に出来ない場合は頭の中が上手くまとまっていない事に起因するのではないかと思います。
話が横に反れましたが、経験が積み上がると、そしてそれが上手く整理されて頭の中に残っていると、発想の選択肢が増えます。
木材を買ってきて、棚を作りたいと思えば、その木材が棚になるのは当たり前ですが、製作途中で発生した端材なんかはその時の気分や思考、発想の違いで全く別の結果になります。例えば端材が出た場合の選択肢として今なら思い付きで以下の様な行動を起こすことが可能です。
- 繋ぎ合わせて新たな材料として復活させる。
- 高さを合わせる為のスペーサーとして使用する。
- 小物を彫刻する為の材料として使用する。
- 色を塗って、サンプルとして保管する。
- 未経験の加工方法を試すための実験台にする。
パッと簡単に羅列しただけですが、おそらく3年前の私なら思い付きもしないでしょう。いや、仮に誰かに同じことを教わったとしても「そんな選択肢もあるんだね」という感想をもたらすだけで終わってしまうのではないかと思います。
同じ人物であってもこれぐらいの差は必ず出ます。本人がそう自覚しているのですからおそらくそうなるでしょう。では何故このような差が出るのか?
それが自分でやったかやらなかったかの差だと思います。
手作り(ハンドメイド)の究極の目的は、結局のところ自分の思考やイメージを形にして確認するようなモノだと思います。そして出来上がったモノを人の目に触れさせる事が出来れば、自分の想いを伝えることも可能だと思います。
単に頭の中で思い描いているだけでは、何も起こりません。びっくりするぐらい他人には伝わりません。しかし、思考はいずれ、言葉となり、行動となる可能性を秘めています。
そういえばかのマザー・テレサさんの言葉にも似たようなフレーズがありましたね。
「思考に気を付けなさい、それはいずれ言葉になるから。言葉に気を付けなさい、それはいずれ行動になるから。行動に気を付けなさい、それはいずれ習慣になるから。習慣に気を付けなさい、それはいずれ人格になるから。人格に気を付けなさい、それはいずれ運命になるから。」
戒め的な意味合いの強いお言葉ですが、歳を経る毎に心に響きます。
まさかこんなところでマザー・テレサさんのお言葉を拝借することになるとは思ってもみませんでしたが、これも一つの運命かもしれません。
しかし、夜に文章を書くのはどうも良くありませんね。きっと翌日読み返して恥ずかしい気持ちに苛まれることでしょう。